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スマスロで北斗が登場するらしいので初代北斗の思い出を語る
こんにちはでじかめです。(@dejikame_blog)
今回はいつもと違って初代北斗の拳があった頃の思い出を書いて見ようと思います
スマスロで登場する北斗がかなり初代に寄せて作られていると話題ですが…
初代が出たのは20年前…おっさん共は盛り上がっても
若いお兄さんやお姉さん方は見た事もなければなければ生まれてすらない!?
そんな訳で今回は初代北斗がどれほど凄かったのかを書いて行こうと思います
ラブホにも置かれるほどです
今回の内容は…
初代北斗のここが凄かった!
初代北斗の思い出
あの頃のパチ屋は…
導入台数がヤバかった…
大ヒット漫画、アニメである『北斗の拳』がパチスロ化!
当時はタイアップ作品もめずらしく(北斗が初めて?)話題性はバツグン!
さらに、台の出来も良かったので増大に増大を重ねて最終的な導入台数はなんと…
62万台!
62万!昨日紹介したモモキュンソードは…
2000台…310倍です
5号機のアイムジャグラーが20万台だと考えるとどれぐらい凄いかは分かってもらえると思いますが
仮に例をあげるとするならスロットコーナーの1/5以上が北斗の拳だと思ってもらえば良いでしょう
でじかめが通っていたパチ屋はスロットが約300台なのに80台以上は北斗が占めていました
今なら新台で導入されても2~4台…6台も導入されれば『おお!頑張ったな!』なんて思うのに…
当時の北斗は60台!まさに右も左も北斗!
大きなお店なら100台単位であったと思います
あの頃は北斗が来たならドラ●ンボールも!?なんて噂はよく耳にしました
バトルタイプの台は北斗が初めて?
味方が攻撃すれば…敵の攻撃を耐えれば…と今ではマンネリ気味の継続システムですが
おそらく初めて搭載されたのは初代北斗の拳だったと思います
もしかすると違うかも
足元のアングルから青!青!とケンシロウの足が見えるたびに喜び
ラオウの攻撃を避けたり耐えたりするのも本当に一気一憂させられました
また、エンディグという演出もが北斗が最初だったハズです
20連を超えてからはエンディグが流れなければ継続が確定!
20連まではビクビクしながら見守っているのに20連を超えてからは安心してバトルを観れるのも良かったし
エンディングが流れてもそれはそれでヨシ!とドヤ顔でトイレに行く人も多かったです
気分はサイコーです
また、6?7ラウンド以降は音楽が流れれば継続と言うのも当時は斬新でした
会社で休憩中は北斗の話ばっかり
でじかめのように工場勤務をしていると休憩中は大体パチスロの話
『プレミアが出たのに単発でよ〜』
『黒バーが揃ったのに3連とか遠隔やろ!』
『青オーラでエンディグ行ったわ』
いやってほど聞きました…本当に何度目だよ!ってぐらい聞かされました
どんだけ、再放送すんねん!
マジで稼働初期から撤去されるまで何度も何度も聞かされたし…
言ってました…
同類やんけ
当時の89%は終わらない!
初代北斗は66%・79%・85%・89%から継続率が選ばれ継続に漏れない限りボーナスは継続
今でこそ89%なんて3連もすればOK!
なんて感じですが…
当時の89%は終わる気がしませんでした
89%とか実質100%じゃない?
いつの時代も89%は89%だよ
もちろん、これは若すぎるが故の勘違いなのですが…
当時は66%は3連、79%は5連、85%以上は10連以上と言う感覚で打っていたのを今でも覚えています
中でも85%or89%が濃厚になる黒北斗(通称ノリ)が揃った時は大興奮!
知り合い全員に声かけて見守るなんて事も普通でした
まささにウザガキですね
若さゆえの過ちです…
5000円握りしめてパチ屋へ…
当時は給料日に打ちに行っては負けると言うのが王道パターンで
ちょっとした収入…なんなら2000円もあれば握りしめてパチ屋へ向かうと言う事も日常茶飯事
2000円とか正気か?
まあ、ハネモノ打ったりもしてたけど
だからってヨシとはならんやろ
でじかめの給料日が15日で友人の給料日が28日だったのでお互いの給料日には
『金を貸し合う返し合う』
と、まさに運命共同体のような感じで生活を続けるなか…ある日、事件が起きます
友達と車でフラついていると何を思ったのか目に入ったダイナムに突貫!
5000円を握りしめて北斗の拳に突撃!
依存症やん
…
金がない友人を車に放置しながら打つ事、1000円…2000円…
スイカを引いた2ゲーム後に太稲妻が走り目の前にトキの姿が!(ボーナス確定)
そして揃ったのは北斗揃い!
緑オーラでした
これがあれよあれよと継続し帰りの遅い事に違和感を感じた友人も合流…
気づけば20連を超えてエンディグが確定!
ここからはドヤタイム!
一体何連するんだー!?と気合を入れて打つと…
21連で終了…それでも5万円近くの勝利に!
当時の5万円は今の15万円ぐらいの価値があったのでその日は豪遊が決定!
欲しかったMDプレイヤーを買ってご飯を奢り最後はカラオケでオールと…やりたい放題
MDプレイヤーって言って分かるかな?
あー微妙かもね
次の日には残金が3000円ぐらいになっていたのは良い思い出です
イベントも凄かった!
当時は抽選なんてしっかりしたシステムは存在しておらず
なんとなく並んだ順で待機し店員がドアを開けると全員でダッシュ!もちろん注意なんてされません
まさに力こそが全ての世界
もちろん向かうのは北斗の島!
電源が落とされているのに…なぜかチェリーやスイカが揃っている台が多数!
当時はモーニングと呼ばれる店員による仕込みが許されており?ボーナス確定状態や当たり濃厚の状態で打ち始める事が可能でした
今では考えられんね
中でも北斗の島は騒がしく…
『とりあえず2チェの台を抑えろ!』
『いや、逆に角チェの台が当たりだ!』
『電源を入れて払い出しがないのはフェイク』
と、本当にお祭り騒ぎ!
また、18時オープンで全台ラオウステージスタートなんてのも良くありました
1000円握りしめて勝負です
お店も儲かってたんだねぇ
情報源は全て先輩…
当時は今と違いネットが発達しておらずパチスロの情報を得る為には雑誌を買うか…
先輩や常連のおじさんから聞くしかありませんでした
『ジャギステージで2チェは確定!』
『角チェリーで当たったら設定4!』
『プレミアで当たっても続かない』
嘘ばっかりです
…
稀に『ラオウのパンチをトキで避けたら継続しやすい』とか本当の事も混ざるので完全に否定できないのが余計に困る!
中でもジャギステージで2チェは確定には『何度』騙された事か…
1回で気づけや!
とは言えジャギステージで2チェはやめられない
怖い人も多かった…
なんだか怖そうな人たちが一角を占拠して打っている日が月に数回ありまして
当時はガルフィーじゃなくてプージャ(PUMAのジャージ)が主流でみなさま片足を台に乗せて打ってるんですね
その人たちが居るとその辺りには誰も近寄らないんですが…たまーに何も知らずに打つ人も居る訳です
いや、別に打つのは問題ないんですが出たり騒いだりすると…
埋められたりするの?
いや、外に連れだされるぐらいかな…
ものすごく恐ろしい顔で睨み付けられているのは数回目撃した事があります
言うて余程の事がないと手を出したりはしないと思うのですが当時はかなり怖かったです
まとめ
思い出したままがーっと書いて見ましたがいかがだったでしょうか? 汗
当時は本当にお金がなくてパチスロを打てるだけで興奮したものです
5号機辺りで離れていった人もスマスロ北斗の拳が切っ掛けで戻ってきてくれれば嬉しいなと思います
そう言えば初代の天井って1999ゲームだっけ?
今思えば鬼やな
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